呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。

夢中になってしまう

https://note.com/fuji_kiseki/n/n756638150018

こうすけさんの、京都の撮影にまつわる記事です。

自分の経験を思い出しました。

自分は大学時代、京都にいた。

大学時代、夢中になっていたのは、ひとつは、絵の練習だった。

結局、全然モノになってないので、書くのも恥ずかしい。

高校の時、絵を描くのがとにかく楽しくて、周りにもウケて、

自分でも手ごたえがあり、同級生からイラストを頼まれたり、

塾の先生が「似顔絵を描ける人はいるか?」と言われたら、

自分が周りから指名されたりして、

担任の先生からも、「あなたは絵描きの方面に行った方がいい」

と真顔でシリアスに言われたので、

自分でもやはりその気になってしまい、絵の練習をはじめた。

アニメや漫画の世界なら、何か希望があるんじゃないかと、

藁にもすがる気持ちで。本当に書くのも恥ずかしい。

でも、いくら模写しても、ある程度いいと思える絵を描けても、

満足出来ず、むしろ、焦りがつのる。

はやくもっと上手くならなきゃ。はやくしなきゃ。

上手く正確に書かなきゃというストレスを紛らわすために、

頻繁に、水道の水を飲んでいた。

京都は、経済的に潤っている都市だから水道管がキレイなのか、

田舎より水道の水が美味しかった。

先日書いた『ハルヒの憂鬱』の制作をした京都アニメーションの、

演出部門と動画部門の研修生のテストの年齢制限が25歳だったので、

それを目標に、間に合わせるつもりで毎日練習してたけど、

あまりの辛さに、

これ以上何年も続けるのはさすがに無理、となり、挫折した。

まさに、デイビッドがよく言う、

「未来のゴールのために、努力する生き方」だった。

オヤジは手先が器用な人で、何でもモノを作ったり、

絵を描くのも上手いから、自分だって、やればできるはず、と思いながらやってた。

年賀状で、いとこに向けて、

和風を着たひつじの男女のキャラクターを自分で作って、

夢中でイラストを描いたら、思いのほか上手く描けたので、

それなりに上達はしてたのかもしれないけど、やはりそれも、

「夢中の努力と巧妙さで上手に成し遂げた、行為者のオイシイ達成感、

どうだ、自分には、能力がセンスがあるじゃないか!」という、

興奮、喜びだった。

それも、束の間の喜びで、プロなんかとても無理だよな、という感じで、

絵を描くのに、無理感、不自然さ、キツさを感じて、

絵を描くのが嫌になった。

それで、「神の使者」の引用をネットで見つけて、大学も辞め、

コースに興味を持って、コースを始めることになり、

しばらく経って、京都アニメーションの、あの事件が起きて、

ニュースで、黒々と燃えた京都アニメーションのスタジオを見て、

呆然とした。

悲しみはあまり感じず、ただ呆然で、むしろ、犯人に同情して、

もうひとりの自分に見えた。

もし、自分に本物の絵の才能があって、

無我夢中で、その道に突っ走ってたら。

T-31.Ⅳ.2.

「真の選択は幻想ではない。しかし世界は真の選択を提供できない。

その全ての道は、失望と虚無と死に至るだけである。」

T-31.Ⅳ.2.11

「その全てが死に至る。ある道を行けば、

寂莫感に襲われるまでの少しの間、あなたは楽しく旅をする。

またある道を行けば、すぐにも茨のとげを感じる。

選択できるのは、結末がどうなるかではなく、

いつその結末が来るかだけである。」

すしお という、アニメの世界では有名な人がいて、

自分はアニメの世界に憧れがあったので、この人のブログを見てたら、

「今仕事してるスタジオでは、自分よりベテランで、技術も経験もある、

スゴい人たちばかりで、自分は何の価値もないゴミで、ここに自分がいる価値は何もないと感じる」

という記事を書いていた。

絵の上手い人は、上手いだけに、自分と相手の差を痛感するのかもしれないけど、こんなに業界で活躍してる、明らかに才能ある人が、

自分より上の人に劣等感、無価値感を感じてるという事実が、

ショックだった。

どんなに上達しても、上には上がいるし、安心できない。

 

あとこうすけさんの記事で思い出したのは、

自分の場合は、ゲームだった。

オンラインゲームの世界では、つい夢中になって、

のめり込んでしまうけど、結局、ゲームの世界では、

自分の技術や知識で、「特別に貢献したり活躍できる、何らかの、

特別さを周りにアピールできる」のがたまらなく快感で、

オイシイから。

自分が特別に活躍して、味方の勝利に貢献するのは、たまらない。

だから、ほとんどのオンラインゲームでは、MVPとか、1番活躍したのは誰なのか、を選び出すシステムがある。

プライド・プレジャー・アタック。

ついやめられず、ゲームに夢中になった後、目や頭が痛くなる。

「あー、ついまた夢中になってやっちゃった。痛ぇー」となる。

子どもの頃からそう。

両親は、ある程度寛容で、ゲームとかを無理に抑圧しても、

あとで抑圧された欲望が出てきたりするから、

やりたければやっていいよ、という感じだったけど、

かといって、やはり、苦痛はあった。

ゲームは、やはり、罪悪感を感じる。

今使っているスマホは壊れかけてて、ゲームをしていると、途中で、

ブツッとクラッシュしてしまう。

ゲームは肉体があまり疲れないぶん、ついやりすぎてしまうけど、

代わりにスマホが落ちてくれる。でも本当依存症。

罪悪の魅力に、依存しているのか。

引用は、『奇跡講座テキスト編』中央アート出版より。