「オレが正しい、オレが一番だ」
高校の頃、よくあるパターンだけど、学校の授業や教師に対し不満があった。
塾の先生は、コースにもある「黄金律」や、
「欠乏の原理と、豊かさを自覚し、相互につながりあう関係」や、
「カルマを赦しあうために生まれてくるんだ」とか、
「それぞれの人に固有の問題と解決の原則があるんじゃなくて、
ひとつの原則で全ての人の問題は同じように解決できる」とかを
言葉だけど教えてくれて、(まだ理解できてないけど)
「他人を責めて犯人探しするのではなく、動揺や間違った判断の責任を
自分でとる」といったことを身を持って示してくれた。
高校生が聞いて、完全に理解できる話じゃなかったけど、
こういう話をしてくれるのが、嬉しくて、
コースの引用がある本や、海外の本を紹介してくれたり、
子ども以上の扱いをしてもらえてる気がして、本当に嬉しくて、
未知の世界があるという希望を与えられた気がした。
それに”比べて”、学校の先生たちは、教科書の内容を、淡々と、
決まりきった方法でただ教えるだけで、情熱や喜びも希望もない。
ただ、仕事だから、義務だからやるだけ、
退職金もらえたら、自分の残りの人生、何をヒマ潰しにするかな、、
野球見て、ゴルフでもやるか、、
みたいな感じ。
それが赦せなくて、
「こいつら、ナメやがって。教科書の知識だけ教えやがって。
塾の先生は少しでも、子どもの人生にプラスになることを教えたいという情熱があって、理解されず、うさんくさがられるリスクもかえりみないで、本来なら子どもに教えないようなことまで教えてくれるのに。
変わる気がないなら、俺は定期テストで最下位とって、
おまえらの教え子、模試の得意科目で全員負かして1番とって、
おまえらの無能を証明してやるよ。おまえらみたいな、
公務員という安全圏でボーッと生きてる連中とは違う気合いがあるってとこを見せてやるよ」
「オレが教師を負かしてやる。オレの正しさを証明してやる」
っていう気持ちでいたから、教師たちからは実力を認められる一方で、
嫌われた。
知らず知らずのうちに、オヤジが職場でやってきた、
「オレが一番だから。オレこそが正しい基準でありルール、
誰もオレを負かせない。オレには勝てねぇ」
という態度を、自分でもやってた。
両親や学校からは、人生の希望を与えてもらえなかった、なのに、
回りくどくて面倒くさいカリキュラムだけ押し付けやがって、という、
被害者意識、復讐する気持ちもあった。
卒業式の日は、担任の先生と、お互いに泣きそうになりながら
赦しあって、仲直りしたけど、それ以外の先生たちは、心底、見下してた。
こいつらに、俺の気持ちがわかるか、、という感じ。