呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。デイビッドはDavid Hoffmeister氏で、ワプニック博士はKenneth Wapnick博士てす。MWGEはコース学習者のための映画紹介サイトhttps://mwge.org/ です。

兄弟への責任

 

https://youtu.be/rP2qxOZjw6s

このフランセスの動画がピッタリ答えてくれたように感じた。

自分の判断で、具体的な、正確な情報や答え、経験や、考え方を、

相手に与えることが、必ずしも、正しい助けとは限らない。

高校3年の頃、理系の女子のまともに話したこともない同じ塾の子から、

「進路の相談に乗ってほしい」と言われた。

頼ってもらえるのは、本当に嬉しかった。

必要とされ、信頼され、価値を認めてもらえてる気がして、幸せな気持ちだった。

でも、

「いや、おれは文系だし、理系の大学やら学部やら、まるで知らないし、

理系の授業も文系のぶんしか受けてないし、学校の勉強さぼって

補習まで受けて、教師どもから嫌われてるのに、

とてもあなたの進路の相談を受けられる立場じゃない。

進路の相談なんて、そんな重要な責任を負うことはできない。

数学も嫌いだし、正しいアドバイスあげるなんて無理。」

と思って、代わりに、仲が良かった、理系で非常に成績優秀だった男子を呼んで、

「この人なら理系の知識あるから、この人と話して」

と言った。

今思えば、正しい、的確なアドバイスをもらいたかったんじゃなくて、

ただ話しを、聞いて欲しかったのか、

自分が得意だった文系の教科(プライド!)

の相談をしたかったのか?それはわからない。

理系のアドバイスが欲しいなら、

そもそも数学で最下位だった自分に話しかけるはずがない。

 

受験の時期、好きだった女子から、

「あんた模試の得意教科だけ

いい順位とってるよね。模試でいい成績とるコツ知ってるんでしょ?

教えてよ」と言われたときも、たしかに嬉しかった。

特別性を認めてもらえた。頼ってもらえた。

でも結局、何のアドバイスもできなかった。

教えられるような、都合のいいコツはなかった。

幼稚園の頃からずっと、サッカーとか野球で遊ぶ運動好きな男子の輪には、怖くて入れず、

図書室で毎日、本ばかり読んでたから、国語とか英語が得意なだけ。 

的確なコツを教えてという、期待に応えたかったけど、

無理で、歯痒かった。期待に応えて、感謝されたかったけど。

 

誰かに頼ってもらえる、助けを求められる、信頼されるのは、

嬉しい。価値を認めてもらえて、幸せ。

でも、兄弟の幸せに、責任をもつことになる。

自分が力不足だったら?自分が間違ってたら?

自分の責任で、大切な人や、兄弟が、不幸になる。

恐怖。

塾の先生は、受験の時期は、ストレスで、教え子が心配で寝れなくなる、

と言っていた。

自分の判断と手柄で、誰かを助けようとする。

コロナで苦しむ人を目の前にして、テレビで若い看護士かの、男性が、

「僕の力不足で助けられなくて、ごめん」と泣いていた。

その気持ちはよくわかるけど、何か違う気がする。