呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。デイビッドはDavid Hoffmeister氏で、ワプニック博士はKenneth Wapnick博士てす。MWGEはコース学習者のための映画紹介サイトhttps://mwge.org/ です。

Cate Grievesさんの動画の部分翻訳 知覚の変化について

オーストラリアで、コースの勉強会やオンラインの集まりを開いている、

Cate Grievesさんの動画を今年の初めくらいから見ていて、

助かっています。

Cateさんの知覚の変化についての解説が、

デイビッドたちの平安のツールや、バイロンケイティのワークや、

先日のライブでのりこさんたちが話していた、

自分個人は自我の信念や動揺をもたらす妄想的な知覚にがっちり囚われた状態で、

現実と妄想の区別が何もわかってない状態なのだから、

知覚を訂正してもらうために兄弟に助けを求めたり、

聖霊の助けを求めるように、というテーマと一致しているように感じられたので、この部分の解説を日本語にして、

自分がはっきりと学ぶために残したいと思いました。

解説の該当箇所を部分的に翻訳します。

Cateさんはコースを16年以上学んでいる方で、

実践したりしなかったりで14年学んだ後、

これ以上は絶対に妥協できない、

本気でコースの指示やレッスンにひとつずつ忠実に従おうと固く決心し、14ヶ月目に聖霊からストップしていいと言われるまで、

抗うつ剤を飲みつつ、妥協せずに赦しに取り組み、

決心した日からちょうど2年後の朝のシャワー中に、

「神が最後の一歩を踏み出す」とコースで比喩されている決定的な経験をしたそうです。

Cateさんの生い立ちや、コースに出会った経緯、赦しの経験などをシェアされている動画です。https://youtu.be/yeLs8upXpPg

知覚の変化についての動画

https://youtu.be/4lg99AA0JmY

6分20秒から、

Cate:先週は、知覚の訂正、知覚の変化について話しました。

ジーザスは、コースを私たちに提示して、

コースの全ては、私たちの全てのものや人に対する知覚を変えることについてである、と教えています。

彼は、世界は存在せず、世界は夢であると言っています。

しかし、コースの生徒としてのわたしたちに実際に何が起こるのかというと、私たちの世界に対する知覚を変えるということです。

コースの中の全てのレッスンは、

私たちの心を変えるということについてです。

時々私は「世界は存在しない」という教えを読んで、

「自分は世界を見るべきではないんだ」

と考えたりしていましたが、

そういう心配をする必要はありません。

あなたもそういう心配をしたことがあると思います。

私たちは、コースを学ぶとき、

小さな間違った道に迷いこむことがありますよね。

私もそうでした。

私自身は、全ての間違った道に迷い込んだと思います。

私が後になって理解したことは、

ジーザスが私たちを導いているのは、見方の変化であり、

世界、私たち自身、肉体、

私たちが兄弟に見るもの全てに対する知覚の変化である、ということでした。

そして、私の「取り消しの時期」に見つかった、私が強調したいことは、

私はいくつかのこういった種類のものごとややり方を見てみたのですが、

その後、「これこそが知覚の変化を実践するのに、正しい道だ」という感じで、

しっくりきたやり方を見つけました。

だから、他のコースの学習者にこれらを伝えたいと思います。

これらは、あなたのお役に立てるかも知れません。

そしてそれは、全てのものごとに対する異なる知覚をもつことにフォーカスするということです。

世界や肉体を否認したり、自我を取り除こうとして、

心配しないでください。

異なる知覚が、まさにそれをやってくれます。

そして、私たちの知覚が変わり、知覚が浄化され、赦された知覚、

または聖なる知覚、真の知覚に近づくにつれて、

私たちの知覚はキリストの心眼、

キリストの心にいよいよ近づくということが起こります。

ジーザスは、神は最後の一歩を踏み出して下さると言っています。

彼がこう言っている理由は、私たちは最後の一歩を引き起こすために

何もする必要はないからです。

そしてこの知覚の変化は、私たちが心のホースを開いて、キリストの心眼、聖なる心眼に心を開いているかのようであり、

このプロセスは、心にある障壁を全てきれいに掃除しているような感じです。

心のホースに、ごみや障害物が詰まっているのを想像して下さい。

そのホースが、だんだんときれいに掃除されていきます。

それは、知覚の障壁を掃除して取り除いているのです。

そして、私たちの心がだんだんとクリアになっていくと、

もう障壁の残りがない。

時間の中で、全ての知覚がすっかり変えられた、という特定の瞬間があります。

しかし、あなたには分かりません。

あなたが唯一するべきことは、赦しのワークをやり続けることです。

それが私たちの仕事です。

私たちがその瞬間に近づいているということを実感することはできますが、その瞬間がいつなのかは、あなたには分かりません。

そして、あなたはこの、本当にクリアな心を生き始めるようになり、

それはとても恩寵に恵まれていると、実感することが何度もあるでしょうが、しかし、あなたは一旦後退し、さらにもっと何か、小さな障壁が見つかることもあるでしょう。

ですから、起こることは、ホースに泥が詰まって水が遮断されているのをイメージして下さい。

そしてホースがきれいに掃除され、もはや何も障害物が残っていません。

そしてその水はただ流れ、合流します。

ですから、ジーザスが神が最後の一歩を踏んで下さると言うとき、

その直後の文で、神が文字通り踏み出すわけではないと言っています。

彼がこう言っているのは、私たちが最後の一歩を踏む必要はない、ということを示すための比喩を与えようとしているんです。

そして、私たちは「父」に回帰します。

私たちは聖なる心へと回帰します。

私たちはそれとひとつになります。

それと、私たちは、自分が消えてしまうことや、生活で機能できなくなってしまうことについて、心配する必要はありません。

あなたは世界の中で今やっていることを依然、やり続けるでしょう。

少し中略。

ジーザスは自我がいつも先に語ると言っています。

自我から来ている漏斗が、私たちの心に差し込まれているとイメージして下さい。

その自我の漏斗はいつも、

最初に、聖霊よりも先に、私たちの心に思考を押し込んでいます。

例えば、朝目覚めた時、自我はまず先にしゃべろうとします。

今日はひどい一日になるだろう、仕事が嫌だなあ、

職場のこの人がこんなことをする、

または、私の子どもが騒いでいる、子どもの機嫌が悪い、

子どもがわたしに話してくれない、など、

自我はまっしぐらに、ストーリーを獲得しています。

したがって、私たちが経験している知覚の変化は、

ある程度の時間を必要とします。

知覚の変化が奇跡ですが、私はそれを知覚の変化と呼ぶのを好んでいます。

なぜなら、まさにそれが、私が経験したやり方だったからです。

そして、この知覚の変化という呼び方は、

自分自身で実践できる、わかりやすく具体的な何かであるように感じられたからです。

そして私は、どのように自分が知覚しているかということに、

もっと心の注意を合わせるようになりました。

そして今起こっていることは、

私たちが動揺している時、私たちは自我と共に知覚していて、

私たちは自分自身でその知覚を変えることはできないということです。

なぜなら、私たちは自我の思考の泡の中にすっかり囚われて、

無我夢中になってしまっているからです。

だからこそ私たちは、もうひとつの心である、

聖霊、正しい心からの助けを呼び求めなくてはならないのです。

そしてこれは、ある程度の時間を必要とします。

なぜなら、聖霊からの助けは、私たちの心からすっかり遮断されているからです。

私たちは、本当にすっかり自我の思考システムに囚われています。

ジーザスは、聖霊の声をはっきり聞くのは難しいと言っています。

ジーザスは、聖霊は私たちが遮断してしまったまさにその声で話す、と言っています。

私たちは、自分が有罪だ、罪深い、失敗している、そしてお分かりのように、腐朽する肉体である、といったこれらの考えにすっかり囚われています。

そしてこれは、たくさんの訂正を必要とします。

なぜなら、私たちはこれらの全ての考えに惹きつけられているからです。

そして、私たちは、自分がこれらの考えに惹きつけられているとは考えもしません。

なぜなら、私たちは既にこれらが地獄であるということを知っているからです。

しかし、私たちはこれらを去ろうとしません。

私たちは余りにも、怯えきっています。

ケネス・ワプニックがこう言っていたのを思い出します。 

「ただ、自分自身に『私は愛を恐れている!』と言って下さい。」

それはおかしく聞こえますね。そうじゃない?

私たちは 「ああ、私は愛を求めている 」と言うことに人生の全てを費やしてきたのに。そうですよね。

それにもかかわらず、マスターティーチャーであるケンが、

「ただ自分自身に、『私は愛を恐れている 』と言って下さい!」

と言っているのは、おかしく聞こえますよね。

なぜ私たちは愛を恐れているのでしょうか?なぜでしょうか?

なぜなら、自我は、「もしあなたが愛であるなら、

あなたは全ての人を愛さなくてはならなくなる。

うーん、それは非常に難しいだろうな。

なぜなら、彼らはあなたの愛に値しないから、

彼らを愛するのは非常に難しいだろうな。」と言います。

これが「あなたは愛である」という聖霊の考えに対する

自我バージョンの答えです。

したがって、ご存知の通り、私たちがどのように感じているか、

ということによって、私たちがどちらの声に耳を傾けているかを、

知ることになるでしょう。

19:47秒まで。

残りの時間は、

世界の中に幸せを求めるのは構わないしOKだけど、

結局は、それは無駄だと知ることになる、ということと、

重要なのは自分自身が何であるかだ、という教えに進み、

その後は、レッスン35「わたしの心は神の心の一部である。私はとても神聖だ。」の実践ワークで終わります。

引用は『奇跡講座テキスト編』中央アート出版より。