呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。

攻撃衝動と罪悪感、絶望感の夢とバイロン・ケイティ

何ヶ月か前の夢で、滑り台のある公園で

自動式拳銃でなぜか人を撃ってしまい、

「ああなんてこった、とうとうやってしまった。

今や自分は重罪人、殺人犯、何もかも終わった。

死ぬまで、絶望しかない」

という感じで、またなぜか祖母の家で暗くズーン...と沈んでいると、

バイロン・ケイティの、「is that true?」(それは本当ですか?)

をふと思い出し、「ん?あっこれ夢か!」

と気づいた瞬間、目が覚めた。

明晰夢を見たいと思っていたというよりは、

日頃からやってる習慣がふと思い出され、悪夢から目覚められた、

という感じだった。

悪夢に夢中になっていると、それだけがリアルな、深刻な現実になってしまうけど、たったひとつの、is that true?

で解放された。

あまり覚えてないけど、

人を銃で撃つとき、ある種の快感があったかもしれない。

攻撃を楽しんだら楽しんだで、その後で自分の行為をジャッジして、

鬱や、罪悪感や、絶望感、無価値感を感じる。

攻撃衝動を感じるときは、自分や他人や何かを攻撃したい、

殴りたい、殺したい、引き裂いて粉々にしたい、とか、

なんだろう、破壊とか罪悪の爽快感、気持ち良さ?がある。

子どもの頃やった、バイオハザードとか、

鬼武者とか、

巨大なロボットで、街を破壊するゲームとか、

New スーパーマリオの、マリオが巨人化して、

本来壊せないはずの壁も全部気持ち良く壊したり、

攻撃・破壊・残酷な罪悪の気持ち良さは確かにある気がする。

オンラインゲームの世界も、結局はみんな、バーチャルの世界で、

安全に、残酷な殺し合いをひたすらいつまでもやる。

ゲームでは、逆に仲間を癒したり、助ける役割を担うこともある。

肉体を優しく癒すのも、肉体を残酷に傷つけて破壊するのも、

プログラムの、仮想の中でやる。

殺害者、攻撃者になる、罪悪の魅力や快感と、

癒す者、助ける役割の気持ち良さ、プライドは、

同じなのかもしれない。

Robocraft という、

LEGOみたいに、ブロックやパーツを組み立てて設計して作ったロボットで戦うオンラインゲームの世界で、

敵ロボットを残酷に攻撃する爆撃機や狙撃手、前衛の役割もやったし、それはそれでエキサイティングで楽しかった。

味方ロボットを癒して、治して助けるメディックの役割、

これも、自分が優しくてナイスな存在になったみたいで、

自分が仲間に貢献してる感、戦場で仲間から切実に必要とされる感があり、

ある種の満足感があった。

「自分は攻撃する、残酷で悪い者だ」という気持ち良さと、

「自分は癒す者で、助ける正しい者だ」という自尊感情、自分に価値がある感。

その目的はまだはっきりとはわからないけど、

何かを隠すためにやってるのか。