呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。

フュージョン

じゅんこさんの記事は、はてなブログをはじめたときに、参考にさせていただいた。    

どの程度まで腹割って本音でいいんだろう?という基準。

じゅんこさんのブログを最初見たとき、本当に無防備で、秘密がないから、何が出てくるか予想できない、未知の感じに心底ビビり、ショックを受けた。

正直、見てはいけないものを見てしまった気がして、怖かったけど、深いところで分かり合えたような、無防備に開いてもらえる、嬉しさ、

心が繋がった感じが、回復したような気がした。

抵抗というか、怖さもあった。

ハリネズミのジレンマっていうか、心の距離が近づきすぎたら、

何かヤバい感じ。

奇跡講座のテキストのどこかで、あなたは孤独で寂しくなったら、兄弟に近づくけど、ある程度の距離を保持しようとする、とあった。

ドラゴンボールで、悟空とベジータが、敵が強すぎて、2人バラバラじゃ到底かなわないから、フュージョン、合体融合して、ラスボスを倒そう、という展開になったとき、ベジータはプライドから、

「オレはお前と融合するくらいなら、死ぬほうがよっぽどマシだ!融合なんてまっぴらゴメンだ!」と、必死に抵抗した。

そんな感じで、自分も子どもの頃からずっと、「オレは特別だし、女の子たちとはもちろん、野球とかサッカーの、自分より頭悪い男子とは、分かり合えない。共感しあえない。」って感じで避けてた。

田舎だから、子どもが少ないのもあったか。

自分から、ねぇ仲良くなろう、と近づいても、どうせ共通の趣味がほぼない。

自分は幼稚園のころから毎日図書室に通って、本ばかり読むタイプだったから、なおさら波長もあわず、女子はセンスや好みがまるで違うから、分かり合えないしで。

「なんでこんな、頭悪くて、スポーツしか興味ないやつしかいない?

毎日図書室で本読んで、深く語り合える友達が何人かいれば、、」

自分でも何が正解だったかはわからないけど、こんな肉体を動かすしか能がない原始的な連中とは、どうせ分かり合えない、

って感じで、本音で分かり合って、繋がれる人がいなかった。

仲良いのは、何人かいたけど。

いじめられたりはなかったけど、疎外感という苦しさ。

退屈で、ますます図書室で本ばかり読むから、ますます特別性は強化されて、国語がやたら強くなり、高校ですら、一目置かれてた。プライド。

それで、孤独でも、自分は本があれば大丈夫。

ひたすらひとりで修業、修業で、自分の特別な強さを強化することしか頭にない、ベジータみたいに。

他人と繋がるという、めんどくさいリスクを冒さなくても、

本の作者と繋がれるから。たしかに、それはある種の深い繋がりだけど。

他人と、溝作って、奇跡講座でも、独習書ならひとりで本読んでればいいじゃん、論理を理解して応用する、まさに自分の得意分野じゃん、って大喜びで、テキストを読んだ。 

ひとりは安全。波風立たない。他人は避けたい。