呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。

自分の顔2 -価値判断と執着-

風呂場で、自分の顔を鏡で見て、心を観察するワーク。勇気だした。

すると、自動的に、出てくるわ出てくるわ、自分の顔を、

ナイスな顔だと、必死に思い込みたい執着。いい顔でありたい。

いい顔に見える角度探し。不思議なもんで、学生の頃、

自分の顔が、まあまあナイスな顔に見える時もあったけど、逆に、

自分の顔におぞましさ、嫌悪感を感じたら嫌だから、こわいから、鏡が見れないときもあった。自己嫌悪が意識に出てきたときは、顔に投影して、顔見たら、おぞましい醜さを見て、気持ち悪くなるんじゃないか、みたいな、恐怖があった。

時期やタイミングによって、自己嫌悪と、自己愛がコロコロ、コインの裏表みたいに入れ替わってた。

何年も奇跡講座やっても、こんなに特別性に執着してる。

ハァー、、イケメンでありたい、少しでもいい顔でありたい、

という執着、大喜びで外見に同一化し、必死になって、外見を良くしたい。

プリクラで、自分の顔をいじる女子高生たちを、正直、見下してた。

執着というレベルでは、全く同じこと、自分がやってんじゃん。

投影だったんだね。

これが明らかになるのが嫌だったから、学生時代、

「いや、オレは外見にこだわりないし?

イケメンに見られたいなんて、思ってませんがな。髪型もダサくして、メガネだし。オタクっぽいでしょ?」

という態度の無害な人マスクで、たまにメガネ外したら、女子から、「あいつって、実はイケメンだよね」って言ってもらえるの、密かに楽しみにしてた笑。普段は、ダサい見た目だけど、たまにメガネはずして、髪型変えたら、ほら、そこそこいい顔でしょ?

みたいな感じで、あんまり、露骨にやったら、嫌われるのわかってるから、たまに、特別性、優越感という、オイシイ蜜を味わって、普段はダサい自分でいて、自己嫌悪が出てこないようにしてた。

学生の頃、ニキビがあった時期は、ニキビさえなければ、と思ってた。

普段は、自分が自分の顔に必死に執着してるのを、とにかく明らかにしたくなかった。