呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。

翻訳をやってみて

デイビッドたちの言葉の意味をなるべく詳しく理解して、

日本語にするので、英語で聞いたり字幕で見たりするより、

やはり浸透して入ってくる感じがするのと、

「翻訳というナイスな仕事をやった自分」という感じで、

自分個人の価値が、翻訳で上げられた気がした。

もはや自分は、無職ではなく、ランクが上がってポケモンみたいに進化して、役に立つ、すばらしき、自らをデイビッドや覚者や、学習者に献身する翻訳者なんだ!やったぜ。今、自分は、世間に顔向けできる、「ぼくの仕事ですか?ネットで翻訳、やってますけど?」と言える、ナイスな、誇れる立場なんだ。

自分のおかげ感か。翻訳というナイスな、役に立つであろう仕事なら、

他人に認めてもらえ、自分の地位が上がる気がした。

他者や自分の行為に責任を持つのではないというフランセスの教えだけど、

さっそく、母の心配をした。

聖霊のガイダンスなんて信頼して受け取る気にもなれない自分が、

こんな教えの翻訳をやっていいのか?とも思った。

自分が、デイビッドのStillnessに対して抵抗を感じると書いたけど、

耳に馴染んだガイダンスの教えにも、抵抗感、うさんくささ、

「いや、ホントであって欲しいけどね、

オレは19から何年も、自分なりに努力してダメなんすよ、

才能ないんすわ。

あなたがたみたいな、ガイダンスの天才集団じゃないんで、

何回聞いても、無理なものは無理なんです。キリスト教のバックグラウンドもないし。あなたみたいに、できればいいんだけどねえ。」

という感じだったけど、デイビッドが、25分くらいで、

「たぶんあなたは、ガイダンスの教えに、イライラし、

うんざりし、抵抗を感じるでしょう」と言っていて、

やはりデイビッドには完璧にエゴの抵抗を見抜かれるな、と感じた。

正直、いつも、ガイダンスのはなし以外はデイビッドについていきたいのに、またしてもガイダンスか、もうやめてくれよ、いやこれは無理だろう。という感じだった。

道理で、加藤さんはガイダンスについてあまり教えないわけだよな、、と思っている。

サイン的なことを経験したのに、疑念丸出しである。

ただ、翻訳は義務感ではなく、響いた言葉の翻訳をやらせてもらえるのがありがたく、嬉しい気持ちもあった。