呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。デイビッドはDavid Hoffmeister氏で、ワプニック博士はKenneth Wapnick博士てす。MWGEはコース学習者のための映画紹介サイトhttps://mwge.org/ です。

Tabula Rasa Online Retreat 部分翻訳

https://youtu.be/mYSrSEBBTaE おとといのライブです。

デイビッドたちの動画の気になったところを翻訳しようとして、全部じゃないけど、完全にして出すまで貯めておくのは、なんか窮屈感を感じるので、出します。後から、翻訳を足すかもしれません。

12:00くらいからです。

デイビッド:もっと何かを得るモードにいるときは、聖なる瞬間の、現在の充足感の中にはいません。今日わたしたちが受けた質問の中には、どうやって聖なる瞬間に入ればいいのか、という質問がありました。

わたしたちは、いつも、ガイダンスについて話しています。

それはただ、毎日、ひとつひとつのレッスンにおいて、

与えられるものを受け取るモードの状態で生きていることです。

フランセスとスザンナが、先ほど、現在の決断や未来の決断についてあれこれ考えるのではなく、

ただ決断を与えられる状態、ただ与えられるものを受容する状態の中には、そのような平和があると、2人でシェアしあっていましたね。

フランセス:まさに。わたしたちが、普通、どのように世界のものごとに対処するかといえば、自分は何かを知っていて、コントロールする立場にいることは可能だと、考えていますよね。そして、コントロールする立場にいることを知ることは、ほとんど良いことであるかのようですね。

しかし、これがわたしとスザンナが話していたことですが、この道において少しずつわかってくるのは、実際に、何であれ、それについて責任を持っているということは、恐怖をもたらすということです。

私たち自身や、行動や、他人や、目覚めのプロセスさえ含めた、たくさんのイメージで作られた世界に責任を持っているという認識は、本当の現実ではないからです。それは実際に、本当の現実の真逆です。

なぜなら、わたしたちが責任を持っているのは、心だからです。

わたしたちが何であれ、それ以外の何かに責任を持っていると考えているときは、

いつでも、それはこの唯一の責任に対するダイレクトな拒絶です。

そして必然的に、そこには恐怖があります。

日常生活において私たちは歩きまわりながら、

自分はこれについて決断を下したり、選んだり、

何でもやりたいことをやれるのは良いことだと、考えることができます。

しかし、ある地点で私たちは、事実、心の奥底に無意識に、

自分はどうすれば本当に安らぎを感じられるのかわからないという、

恐怖が居座っているということに気付きます。

このように週末に集まる理由は、私たちがここにいるのはスピリットの考えと声に耳を傾けるためであり、それが平和を与えてくれるのだと、心のどこかで知っているからだと感じます。