呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。デイビッドはDavid Hoffmeister氏で、ワプニック博士はKenneth Wapnick博士てす。MWGEはコース学習者のための映画紹介サイトhttps://mwge.org/ です。

憎悪を認めるのが怖い

勉強会に参加した方たちが、お互いに憎悪や嫌悪を感じることを打ち明けあってることを知って、心底怖かった。

それだけで終わるわけじゃないはずだけど、

根深い憎悪や嫌悪が心の深いところにあるという事実を認めること自体がそもそも怖いし、真っ向から、直面したら、自分が狂ってしまい、怒りや攻撃衝動に囚われてしまいそうで怖い。

バイクで夜中に、騒音を出して走る人たちに、小さな怒りどころか、

殺意を感じたことも、一度や二度じゃない。

事故で死ねばいいのに、とか。

バイクが生活必需品で、仕方ない場合もあるだろうけど、

夜中で集団でバイクを走らせるのは、さすがに趣味だし、

自分の気持ちよくなりたい欲求のためだけに、騒音で無罪の他者を犠牲にしてる。

一方、罪ある他者を知覚して、そこに罰が与えられたのを見るとき、

ある種の嬉しさもある。

ざまあみろ、調子に乗ったやつは、

最後は泣きを見るんだ、みたいな。

罪ある人が最後、残酷に罰されるのが、嬉しくて仕方ない。

のりこさんが、男性の方との会話で、ガンダムとかで、ワルモノに憎しみを感じたかもしれないけど、と言ってたけど、

子どもの頃見たガンダムSEEDという作品で、ラウ・ル・クルーゼというワルモノキャラのボスが、

無防備な若い女の子を一方的にガンダムを使って殺すシーンがあり、

アニメのキャラなのに超リアルに感じ、邪悪さ、憎悪を感じてた。

演出がいやらしさ全開なのもあるけど。

子どもの頃、アイアンマンの第1作の映画を見たとき、

主人公トニーがテロリストに捕まって、牢から脱出するのを手伝ってくれた優しい学者か何かのおじさんがテロリストにあっけなく殺されたとき、

やはりテロリストに強烈な憎悪を感じ、アイアンマンがテロリストと戦うとき、「内臓を引きちぎってやれ」という言葉が口から出てきて、

家族は驚いた。