嫌悪
和歌だか、俳句を芸能人が作って、
俳句の先生らしき中年の女性が添削する番組。番組名は知らない。
いちいち偉そうに、
わたしは知ってる感が満ち溢れる傲慢な態度で、これはああでこうで、
ここはダメだからこう、と指摘する。そういう演技なのかもだけど。
わたくしは無知なあなたがたより知識も経験もあるから、
この分野では、わたしが正しい道知っているから、
ほらすごいでしょ、うまくハマったでしょ、わたしの正しさ、
優越的地位を認めなさい、とやって、
芸能人は、ははあ、なるほどすごいですね、さすが先生、お見事です、
とやる。
茶番感に加えて、俳句の先生が自分の優越的地位によって、
特別な努力や才能や経歴からくる優越性を承認してもらうという、
おなじみの快感、気持ち良さに浸っているように感じられ、
嫌悪感しかない。赦せない。罪悪感を感じ、反省し、悔い改めるべきだ。謙虚に、「わたしはわずかな、知ってること以外は知りません。知らないこともたくさんあります。優越性に浸って気持ちよくなってました」と
認めるべき。それなら、まだ赦せる。とにかく謙虚で素直になるべき。「わたしは大した教養のある女性です。俳句に無知な連中とは違って。」という態度、改めるべき。
これは自分が、優越性に執着して、他人より上であることをこれ見よがしにアピールする気持ち良さを感じていたいと思ってるからか。
俳句の先生の気持ちはわかる。優越感は実際、本当に快感だし、
どうだ、わたしの素晴らしき特別性はリアルなんだよ、
認めざるを得ないだろ?あなたがわたしより劣ってるのを認めざるを得ないだろ?という態度には、
歪んでるけどある種の爽快感、気持ち良さがある。
密かに、ヒヒヒと暗闇の中でほくそ笑むような快感。
平和とはなんか違う。自分より、劣った、
下の者がいるのが嬉しい気持ち。