呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。デイビッドはDavid Hoffmeister氏で、ワプニック博士はKenneth Wapnick博士てす。MWGEはコース学習者のための映画紹介サイトhttps://mwge.org/ です。

優越感

自分が1番苦手、嫌いだな、と感じてきた人は、

表向きはナイスなマスクを装っているけど、内心、他者を見下しているタイプの人だった。優越感、生まれつき能力や肉体や才能や外見などが恵まれてるという気持ち良さ、歪んだ快感。

自分はとくに誰かにいじめられることもなく、中学まで、普段は善人マスクをかぶって波風立てずおとなしく、頭が回るから授業中とか模試だけ活躍するタイプだったけど、無害な善人マスクのおかげか、男子にも女子にも、大人にも嫌われはしなかった。嫌われないように、気を遣っていた。マスクのせいで若干いじられキャラだったけど、真に辛いのは本音で関われる人が少なく、それが疎外感だった。高校では、常識の枠内しか教えない学校、本音で無防備に関われないことに対する怒りからかマスクが薄くなり自我が強くなって、絵を描き始め、生徒に嫌われてる教師の似顔絵がクラスメイトにばかウケして、頭いいキャラに面白い絵が描けてまあまあ注目され、公務員気質な教師や、鼻につく教師と面と向かって対立しても実力にものを言わせて、自分個人の正しさや意見や特別な価値を認めさせる、自分でも、仮想ヒエラルキーで地味すぎず、派手過ぎない、若干目立つというかなりちょうどいい位置になった。善人マスクが破れはじめたぶん、それまで抑圧されてた獰猛な怒りのパワーがすごかった。その獰猛さ、怒りは、よくあるパターンで教師に向かった。もともと、小さいころから、学級委員とかリーダーポジションに据えられることも多かったから、いざというときは自分がリスクを取って、他の子が躊躇することも、率先して前に出てやるみたいな気持ちがあった。それで教師に対立するのが、欺瞞に満ちた世界から抜け出すための正義なんだから、自分が代弁者としてそれを実行する、みたいな感じだった。問題は、特別性、優越感からくる自己嫌悪だった。中学までの、自分に自信がないような態度も、自信家になったら嫌われるし、自己嫌悪に苦しむのが実はわかっていたからだった。時々、自分の能力をセーブして、他人に劣等感を与えないようにしてもいた。嫌われたり、罪悪感を感じたくないから。

高校で、自分は普段の勉強やテストで頑張らなくても模試の得意科目で同学年の子を全員負かして、実力は証明できるから普段は努力はしません、という態度だった。まさにプライド・プレジャー・アタックだった。必死に努力して点取ってもつまらないし教師たちのいうがままの奴隷じゃないか、という感じだった。善人マスクを半分脱いで、エゴに従ったから、自分がかなり強くなったように感じていた一方、本音で無防備に付き合うのは怖くて、内心では下手したら嫌われすぎないか怯える気持ちもあった。

そこで、教師とは対立して、あからさまに攻撃するけど、同級生は基本的に攻撃しない、という態度になった。教師は年上で、学校の学習環境を設定する責任者の立場で、加害者、一方、生徒は知識もなく、親や常識に従わざるを得ない被害者だから、と考えて、教師と対立するのは正当化されると思っていた。

生徒の味方、教師の敵なら、教師に嫌われても、クラスメイトには嫌われないはず。たしかに、教師たちには嫌われ、クラスメイトにはまあまあ好かれた。優越感に強く執着しているタイプの男子ひとりだけ、同族嫌悪で仲が悪かったけど、運動部の男子らしいフランクさで、「おまえオレのこと嫌いだろ?オレもおまえが嫌いだよ笑」とハッキリと笑いながら、あっけなく言ってきた。彼は背が高く、運動がまあまあ得意で、今思うと笑えるけどそれが誇りだった。若干嫌悪感ありつつも、フランクな性格ゆえにそれほど険悪な仲でもなく、お互いにイジりあって、まだ笑える関係だった。自分が描いた絵を認めて褒めてもくれた。今思えば、なんならいいやつでさえあった。

背が低く、頭がいいタイプではないけど、プライドが高くて音楽の才能、作曲して歌う才能がある女の子Kがいた。自分が休み時間に、美しい女性の顔をデッサンぽく

描いていると、周りのクラスメイトが、上手いね、すごい、みたいな感じで褒めてくれていた。その絵の仕上げみたいな作業を机でしていると、

前の机に座っていたKが、突然振り返って、シャープペンシルで絵にいきなり強く線を引き、絵を台無しにした。その時は突然過ぎて理解できず驚いたけど、まえまえから自分が授業中にKが理解できてないところを解説して教えたり、Kからすれば自分が絵をこれ見よがしに描いたりで、Kの劣等感とか、優越性に対する憎悪が励起されていた。Kは一時的に嫌いだったけど、プライドは高くても肉体は小さな女子だし、個性がかぶってないからそれほど脅威じゃなかった。

 

1番苦手だったのは、勉強もスポーツもよくでき、体も大きいし、顔も性格もナイスなマスクのHだった。楽々と東大に入った。

ただ、マスクはナイスな善人にも関わらず、優越感に溢れていて、今思うと、劣等感や自己嫌悪を思い出させられるから嫌だった。自分は他人よりはるかに才能に恵まれてしまったんで、楽に勝てるんです、という態度が匂っていて、他人を直接いじめるわけではなかったけど、見下した態度を嫌われていた。絵を描いたり芸術系は苦手と言っていた。まるで自分の真逆で、教師からは認められて、生徒からは嫌がられていて、能力も真逆だった。自分が抑圧した形の優越感の塊みたいだった。他人から嫌われても別に問題ありません、だって、所詮自分以下の雑魚だから、という感じだった。

Hに対して個人の自分にはない優れた特別性が羨ましい気持ちもある一方、他人を見下して快感を得ているわけで、いやらしさを感じていた。自分より、下の存在がいて欲しい、という卑小な欲求に感じられた。

 

特別性を知覚して信じて、個人を信じていたら、優劣ゲームからいつまでも抜け出せないのかもしれない。