呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。デイビッドはDavid Hoffmeister氏で、ワプニック博士はKenneth Wapnick博士てす。MWGEはコース学習者のための映画紹介サイトhttps://mwge.org/ です。

内側を見る恐怖 と 祖母

のり子さんが、たしか無意識にあるものを明るみに出すようなテーマの動画で、他人が泣いたり普通は話せないことを話す場にいることへの抵抗について話して

いた。奇跡講座を始めたすぐ後くらいに参加した東京の別のグループの集まりで、そういう状況に遭遇して、強烈な恐怖と抵抗を感じていたので、のり子さんの言葉にはまさにそうなんだよな、という感じだった。今ならそれもプロセスというふうに見れるけど、そういう状況に慣れていないのもあり、どうしていいかわからず、参加者が感情を表現するのを見ながら固まるしかなかった。テキストでは自我は内側にあるものを見てはならないと告げるという趣旨の文があったけど、つまりそれは内側にあるものを明るみに出すと嫌われ、見捨てられるだろうから、なんとか隠し続けなくてはならないということで、ワークブックの私的な想念につながる。しかし、勉強会やエクスプレッションに参加する恐怖は依然ある。つまりそれは、無防備になったら傷つくから、防御し続けなければならないという状態なのだろうけど、祖母の前で寂しさや孤独を感じたことを話すと、「あんたはそんなことだから、、男は弱みを見せるな」と厳しく言われたのを思い出す。デイビッドの本に書いてあった通り(自我は、心を開いて無防備になったとき、傷つけられたことを忘れないで、と叫ぶでしょう)だ。祖母は悪意ではなく、孫をなんとか「自立した立派」な一人前の男にしようと必死にコントロールしようとしているので、励ますつもりで言ったのだろう。幼少期に戦争を経験した世代の祖母の価値観だと、男の人生は忙しく働いて金を稼ぎ、強くあり、伴侶をなるべくはやく見つけて、子をたくさんもうけるべし、なのである。でも、祖母は自分の恐怖や自我を映し出しているのか?自分は世代による違いを差別に使っているのかもしれない。奇跡講座そのものに対する抵抗や憎しみが異常に強く現れたのも祖母だった。あるとき、祖母は本棚にあった奇跡講座のテキストを「この本が!」といいながら素手で強く何度も殴りつけた。天国から離れてにあった、ビルの父の騒動事件のように、これも投影なので、兄弟がしなかったことを赦す、のか。家族が奇跡講座に抵抗するというのは非常によくある話で、ほとんどの人が避けて通れない道ではあるけど。

前回のErikの動画によると、デイビッドは、友人にNo private thoughts を実行してうまくいかなかったJPに、エクスプレッションは正しい時・人・場所が必要であると言ったという。なるほど。やはり祖母の前では表現すべきではなかったし、祖母が悪いわけでもなかった。とはいえ、身内だからエクスプレッションしやすかったのもあり、勉強会に参加したり表現するのはやっぱりハードルを感じる。