呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。デイビッドはDavid Hoffmeister氏で、ワプニック博士はKenneth Wapnick博士てす。MWGEはコース学習者のための映画紹介サイトhttps://mwge.org/ です。

加藤諦三氏の本

加藤諦三氏の本は昔から家の本棚に一冊あった(今は見つからない)

から、小学生の頃に『甘えの心理』みたいな

タイトルの文庫本を少し読んだ。

加藤さんが子どもの頃、

確か末っ子だったかで、

親や兄弟の怒りや感情のはけ口にされていた、

みたいなことが書いていて

読んでいて辛くなって以来読まなかった。

でもある男性が自分の無価値感や自己嫌悪から

女性が自分を嫌うと思い込むとか、

そういう実際の具体例が書いてあってそれは

小学生ながら目からウロコみたいな

ある種の解放感と感動を感じていたのを覚えてる。

数日前にAmazonで以前Paidyの設定をしていたから

Kindle本を買えることにやっと気づいて、

気になる漫画やら本のサンプルを見ていたら、

加藤諦三氏の『あるうつ病のD氏の例』みたいな本があった。

なんか自分がうつ病という自覚があるせいかワードに引かれて

サンプルを読んだら、

うつ病とは隠されて遠回しに表現された

憎しみと復讐心である」

とあって、

まさに図星みたいな感じだった。

直接、身の回りにいる人に怒りや憎しみを表現するのが

嫌で怖いから、

病気とかうつ病、無視したり冷淡になることで遠回しに表現する。

かわいそうな自分になって、

「あなたのせいでわたしはこんな有様なんだよ。

あなたは罪悪感を感じるべきだよ」

っていうやつ。

4ヶ月風呂に入れなかったのもこれだった。

自分を否定し続けて全く分かろうともしない両親への

怒りや復讐心を、

4ヶ月風呂に入らないことで遠回しに表現していた。

本のサンプルには、

「自殺もほとんどは復讐心と攻撃性の表現」

とあったけど、これも納得。

「身の回りの人への怒りと憎しみを自覚することが

答えである」って、

コースと同じじゃんってなった。

母も怒りを遠回しに表現する人で、

父や妹はハッキリ怒りを表現する性格。

実際、父や妹は活力に溢れていて

母や自分はそうじゃない。

ビルが怒りを抑圧するタイプで、

鬱や無気力感に悩まされていたのも同じ。

教師のマニュアルに

「病気とは赦せない気持ちである」みたいな文があった。

 

 

抑圧キャへの見下しと分析・底に詰まってたヌカ の夢 

 

自分の心で何が起こっているか、

自分では実は分からないんだと

最近ある人から教えてもらった。

自分の性格とか精神面のことは自分が一番よく分かってるってつい無意識に

思うし、思ってきたけど

実際には逆で、

抑圧した自分の心は自分では全然見えてないし

感じ取れなくなってる。

なんかそれを最近はことあるごとに実感させてもらってた。

 

今朝、不思議な夢を見た。

年上の従姉妹と結婚した男性がいて、

つまりは何歳か年上の人なんだけど、

その人の人格や性格について自分がリビングで

「この人はこれが苦手だからこう」みたいな

自説を妹の前で話していた。

夢だからもう詳細は覚えてないけど。

今振り返ると

自分は理解したことについて得意げというか

見下すというか何か勝ち誇ったような感じ、

悦に入ったような感じで

その従姉妹の旦那さんへの分析をしていたけど、

その時はやはり自分では気づけなかった。

実際には自分の苦々しい感情から逃げるために

外側の他人の自我に注目してたけど、

単に自分の理論というか分析が正しいのを

感じながら話しているみたいな意識だった。

そんな感じで自分が話していると、

妹が、

「そんなことばかり話すならもう、

りょうくんは次話したら部屋から

出ていってもらうね。

それに、そういうことを話すときって、

大体ヌカみたいなのが詰まってるんやから。」

と突然ズバッと言って来た。

何か自分を否定されたというか

「俺の分析は正しいのに、何でそんな事言うの」

みたいな気分になったけど、

「ヌカが詰まっている」のところで何か

胸に響くというか確かにそうだと感じた。

今振り返ると従姉妹の旦那さんに対する劣等感・無価値感・羨ましさ

があった。

で、その惨めで苦しい感情を抑圧して

優越感にすり替えるために

カテゴライズというか分析してた。

旦那さんは「元野球部・サーフィンとバーベキュー大好きで色黒、

見た目も短髪の男前」で、

野球部にしては大人しく物腰が柔らかい性格だけど

ノリはやはり夏のビーチでバーベキューというか、

野球部でサーフィン大好きな感じだった。

従姉妹も性格が人一倍明るくてスポーツ大好きだったから

まさにお似合いだった。

旦那さんは決して性格が悪いという感じではなくて

むしろ爽やかだったけど、

この人に対して自分が

苦々しい劣等感・無価値感を感じていた。

自分が持っていない野球やサーフィンから連想される健康的な男らしさとか

色黒の常夏ビーチバーベキュー的な陽キャっぽい長所、

肉体が健康で強くないとできない仕事で働いて稼いでるところとか

父もそうだけどそういう

陽キャの男らしい肉体的・精神的頑強さ」みたいなものに対して。

従姉妹と結婚した時、

性格的に2人はウマが合うのは分かっていたけど

「やっぱり従姉妹はこういう常夏ビーチでバーベキュータイプの色黒イケメンが

好きなんだよな」みたいなある種のひがみ・いじけみたいな

ものも感じていた。

で、夢の中で従姉妹の旦那さんへの分析を得意げにしていた時は

まるで忘れて気づかなかった。

妹に言われるまでは。

自分が何か意固地になったり

自分の意見とか他人への投影を話している時は

自分では気づかないけど、

妹みたいに他人から見たら「明らかに何か腹に抱えている」

のが感じられるんだと思う。

妹は優しい時は優しいけど自分の意見をハッキリ言うタイプで

ちょっとフランセスに話し方が似てるけど、

夢の中の妹は心を見抜く才能があると

夢の中の自分は本気で思った。

 

陽キャへの感情 環境の被害者

なんか腹から湧き上がるものがあって、

書きたくなった。

保育園からずっと休み時間にサッカーとかやるような

運動が好きなタイプの男子とかに混ざりたいけど混ざれないという

悲しみ・寂しさ・憧れと、

同時に

野蛮って言うか理性がないっていうか、、

頭が悪くて内面的な繊細さがない、乱暴というか野生的というか

人間より猿みたいで

自分と心から分かり合えない、理解し合えない存在だよな、

と見下すように感じてた。

わかり合えないフラストレーション、

何で自分みたいなタイプの男子が全然いないのか?

みたいな寂しさと不満の気持ちだった。

父もそういうタイプ(野球・サッカー・剣道・バスケやってた)だけど。

 

幼稚園や小学生・中高くらいは、

陽キャグループは理性・分別がなくて自分の気持ちや感情を配慮する繊細さや

優しさ、感性の深さみたいなのがない、

本能の欲求や衝動に従うだけの動物みたいな人間で、

平気で自分の気持ちや心を傷つけられたり

自分が痛い感情や辛さを感じさせられる加害者というか

危険な存在・脅威として見ていた。

本当に猿のグループに近い。

デイビッドがよくモンキーマインドと言ってたけど。

それで自分が弱く無力で無価値・情けない、

ちびまる子ちゃんの大野杉山にビクビクする

ひたすら臆病で情けない藤木くんみたいな感じだった。

男子の雰囲気で仲間グループを作る彼らに羨ましさもあり、

軽蔑もするみたいな。

小学校では田舎だから男子が少なく、

一クラスに9人だけだった。

少し気が合う子が1人か2人いればいい方だった。

絵が上手いとか大人びているとかの。

猿タイプの人間はフランクさがあるけど、

仲間が簡単に見つかっていいよなあとも

思ってた。

猿タイプってポケモンみたいだけど、

自分で書いていてすごいカテゴライズ・見下しだなと笑った。

自分だって猿みたいなところはあったのに。

思い出す感情は、やっぱり寂しさ。

自分から話しかけようにも、

到底わかり合えそうにないしなあ、、

と途方に暮れていた。

男子のノリで、自分と険悪になって喧嘩しても

いつの間にか風化して家に呼ばれて遊んだこともあったけど、

何かやはり仲良くはなれなかった。

自分がもっと心を開けば違ったのかもだけど今は分からない。

感情に沈んで見ようと思って書き出したんだけど、

1番下にあった感情は

「俺も仲間に入れてくれよ!寂しいよ。

仲間がいる暖かさや安心・幸せを感じたいよ。」

だったかもしれない。

その感情はひどく惨めで自分が心細く無力に感じるから

猿人間みたいに見て見下したりして

ちょっと自分の強さを取り戻したつもりになって

寂しさをごまかしていたのかな。

なんか深い感情に触れた感じはする。

高校になるとやはり分かり合える人が増えてだいぶマシになった。

塾でも仲間たちがいる暖かさがあった。

小学生4年くらいまでの頃は女の子と混ざって遊んでたけど、

結局今もそうで、

父も含めて男らしい男・陽キャの男たちとは

ある程度以上分かり合えるコミュニケーションが成り立たない。

今年の初め頃の勉強会に

ももこさんにメールしたのも、

その時は自分ではわからなかったけど

やっぱり寂しさ、誰かと話せる暖かさ・安心を感じたかった。

このストーリーというか知覚について別の見方を教えてもらうのは

これから。

自分は男子が少ない環境で内向的な性格だったから

いつも寂しさや疎外感を感じていたんだ!

と言い晴れるというか、

何かかわいそうな子どもだったことを胸を張って証明できる

奇妙な歪んだ嬉しさがあるのに気づいた。

フフフとニヤリほくそ笑むような感じ。

それに気づけて嬉しい。

 

https://jacim.com/acim/?p=6723

去年だったかに父と喧嘩した時。

父が自分が働かず、

実家に引きこもっていて年金などを払えないことを

蔑んで侮蔑するような言葉を楽しそうに目の前で言い始めた時、

自分は恥や屈辱、傷ついた感情・怒りやムカつきを強く感じた。

今思えば、働いておらず年金などを払えない罪悪感・無価値感

を感じさせられるというか思いださせられたことに

屈辱や怒りを感じたのか。

それで、瞬間的に父にやり返そうとした。

父がやったのと同じ、

相手の罪悪感や無価値感・自己嫌悪を刺激して思い出させようとした。

具体的には、父が職場で経験していた後輩へのパワハラ問題について

父に罪悪感を感じさせられるような発言をした。

 

お互いに憎みあって罪悪感を強化し合っていた。

なんか最悪な心を相手から引き出してやろう、

みたいな妙な喧嘩を楽しむ気持ちもあったけど、

それは悲しみや喧嘩へのウンザリさを隠していただけかも。

相手に一方的にひどいことを言われて傷つくという

惨めで屈辱な状況だけは避けたいから、

なんとか相手に反撃する意欲を保とうとしていたというか。

誰の中にも、これと同じ心の動きがあって、

そのどれもが異物というか嘘なのか。

ビルとヘレンを思い出す。

 

父が帰ってくると、

剣道有段のガッシリした体型で常に手足とかの筋肉に強い力を入れるから

郵便受けやドアがかなり大きな音を立てる。

それを聞くと毎日体内で少し恐怖が感じられる。

JACIM質問99の、相手が自分を攻撃したと思う時は

自分が相手を攻撃している時だ、とあったけど、

父に恐怖を感じるということは

父を攻撃した・しているという信念や自覚があって

報復されるって思っているのか。

あと質問99を今見たら

攻撃の想念について

平安のツールと言っていることが同じだったんだ、と気づいた。

イヤホンがなくて激憤

イヤホンを使おうと思って、

自分がさっき置いたと思った場所を見たら、ない。

あれ?と一階に戻ってバッグやズボンやジャンパーのポケットを

見てもない。

焦ってくる。

もうすぐ人と話すのに、イヤホンがないと不便になる。

おかしい。

必ずあるはずなのにない。

焦りと怒りを感じはじめてるのに気づいた。

エス、今、怒りを感じてます。

俺かなり怒ってるな。

で、頭の中で平安のツールをちょっとやった。

Eはイヤホンが見つかること。

Aはイヤホンが見つからないこと。

AとEにギャップがあるから、

動揺して怒りが正当化されていて、

C2 イヤホンなしで話すことになるのを嫌がって恐れている。

電話を手で持ちながらだと手が疲れる。

 

ここでイヤホンがなくても大丈夫と考えればいいのかな?

と思った。

思い切ってEが不可欠だという考えを手放してみるか、と思って。

それで少し怒りが落ち着いて、

やっぱりズボンとかジャンパーのポケットに入れたはずなんだよなぁ

と思いながらジャンパーのポケットを探したら、

あった。

終わって見たら、

イヤホンが見当たらないだけで激憤していた自分が

なんか不自然というか、

大したことないのにそんなにキレていたのが

奇妙に感じた。

結局イヤホンはあったのに。

勝手に1人で焦って怒ってた。

のりこさんは前、状況に対して感情が強すぎて釣り合わないよね、

と言っていたけど。

こんなことがちょくちょくある。

自分の思い通りに行かない、

自分の思う必要が満たされないと激憤が始まる。

Dは筋肉の疲れや小さなわずらわしさをなんとか

イヤホンで防がなくてはならない自分。

祈ったりする意欲はちょっと出なかったけど、

少しずつ間違えていることを望めるかな。

 

 

 

『アバター2』 あばたにえくぼに捕鯨

アバター2 を今日見た。

自分にとって感情が来たのは

捕鯨を描写したシーンだった。

海の民の聖なるクジラみたいな生き物を

軍人や密猟者が銛とか爆雷

捕獲するシーンで、いかにも残酷で卑しいワルモノたちが

優しい知的なクジラさんたちを手にかけるという感じ。

その捕鯨の船の腹に「日捕」とわざわざ漢字で書いていて、

捕鯨の潜水チームにも日本人っぽい女性をわざわざ

使っていて。

まるで自分には映画の製作者が「日本は捕鯨してんだよ。

捕鯨といえばやっぱり日本だよね。

日本はこういうヒドい残酷なことをしてんだよ、

アバターをご覧の世界の皆さん😏」

みたいな感じで日本をイヤらしく風刺しているように感じられて、

イラッと来た。

「オーストラリアとかはカンガルーを毎年駆除してるし、

牛とかもなのに何でクジラだけ槍玉に上げて

罪悪の投影先にするんだよ?」とか怒りと不満の思考感情が上がっていたけど、

第一感情は日本を風刺された・日本の罪を晒されて恥ずかしい・

屈辱・惨め・動揺させられる自分が無力で弱い感じ・苦しい、

だった。

それが瞬間的に怒りの力動になって

↑の思考感情になってた。

自分の苦しい恥と罪悪感から怒りに移行して外側を責める

パターン。

直子さんが最近受け取った心の図を教えてくれた通りだった。

自分の中の苦しい不快な嫌な感情から逃げるために

怒りとか思考に逃げ込んでグルグルループするやつ。

 

自分の中に捕鯨に対する恥・罪悪感があるのがわかると、

日本の捕鯨を裁いてクジラを可哀想だと見ていたのは

映画の製作者じゃなくて自分だった。

自分が捕鯨を裁いて罪悪感と恥を感じていたから

それが映画でトリガーされたけど、

映画のせいにしてた。

まさに平安のツールの文章通り。

動揺の原因を外側に見て自分は動揺について無力でいようとして、

その実動揺を生み出す信念へのしがみつきという決断は

温存する。

自分のジャッジを相手に投影するから。

捕鯨に対して裁いてたのは自分の心だったし、

それについて間違えていたいって

祈るのは自分だった。

でも、やっぱり弱いところや恥を突かれると

最初は怒りに行くんだよなと思った。

あと一緒に映画を見た友人は全く捕鯨と日本を風刺する描写に

気づいてなくて。

その人は日本が捕鯨で批判されがちなことも知らなかったし、

自分が捕鯨でイライラしたのに

まるで反応せずに風刺に気づかなかったので

捕鯨の風刺は自分だけの知覚だったのか、

みたいな気分になった。

 

脚本はまあこんなもんかな、みたいな感じだったけど

キリ?っていう主人公の娘のナビと人間のハーフの女の子は

デザインも性格や心理描写もすごく良くて、

繊細で深い内面や複雑さをリアルに表現してて

すごく魅力的なキャラクターだった。

キリは最初からなんとなく好きだったけど、

とにかく魅力的だった。

キリはアバター2の深みや窪みを表現する魅力的なえくぼだった。

ちょっとした奇跡と見えない心のつながり

前にもちょっと書いたけど、

先月、勉強会での自分の心が

ひどくズルくて卑しく醜く、、自己中心的だったように感じて

自己嫌悪と自己憎悪が強烈に上がって来て

かなり苦しんだ。

全員からなんて醜いやつだと嫌悪感を感じられたに

違いないと強烈に罪悪感・深刻なやつをやっちまったと感じて

あまりにも苦しいので

頭の中で直子さんが教えてくれた通りに

これについて正しくありたい欲求を手放します、

とやったら

勉強会の時の「醜い自分の感覚とイメージ」は

自分じゃないんだ、

勉強会の録画に醜い心の自分の醜い様子が消えない罪みたいに

残ったと思ったけど、

録画自体は何の問題でもなくて

自分が醜い心だと信じてたのが問題だったって

なんか突然わかった感じがして、

急に思考が止まって

誰に何と思われるても全く自分の心の状態には影響がなくて

力は内側にあったんだ、

と突然強烈に体感した。

皆が自分を嫌ったはずだと思って

皆に明け渡した力が突然一気に自分の心に返って来た感じで、

平安のツールの文章にある通り、

今まで自分が無力に感じていたのが、

突然めちゃくちゃ心が強くなったみたいな感じで。

こんな経験は今までの人生ではなかった。

誰かに伝えたくなって、直子さんにメールした。

その翌日、きりこさんたちのシェア会に参加した方がいいかな?

みたいに感じて

久しぶりに参加すると、

Zoomのルームに入ったらきりこさんしかいなくて、

きりこさんが自分の顔を見るやいなや

パッと驚いたように笑顔になって、

「りょうさんの声が昨日聞こえたんです。

もうすぐこうやって会えるって感じてました!」

といきなり話してくれた。

自分が「知覚が変わったんですよ!」ときりこさんに

話している声を心で聞いていたらしくて。

きりこさんは以前から自分が苦しみに行き詰まっていると

なんとなく感じて声をかけてくれたりしてくれて

霊感があるんだと思うけど、

本当に見えない心のつながりってあるんだなあと感じた。

前も書いたけどきりこさんが聖霊のメッセージを受け取って伝えてくれた

ことも何度かあって。

聖霊っているのかなとその度に感じていた。

しばらく前に父が『きりこについて』(著:西加奈子)

という小説を買って来てリビングの小さなテーブルに置いていたのに

気づいたんだけど、

ちょっと偶然とは思えない。

ビルやヘレンもこんな経験があったと

『天国から離れて』にあって

リビングミラクルズでもだんだん皆テレパシックになると

言ってたけど、

本当にそうなんだな。

デイヴィッドは、「全ての人との心の繋がりを体験するには、

私的な考えを持てるという信念を手放すこと、それだけです」

と言っていたけど。

ありがたい経験だった。

 

ちょっと俺ドヤってるかな笑。