呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。デイビッドはDavid Hoffmeister氏で、ワプニック博士はKenneth Wapnick博士てす。MWGEはコース学習者のための映画紹介サイトhttps://mwge.org/ です。

女子小学生への恐怖

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自分が歩行者の信号機の下に来ると、

横断歩道の向こう側に学校帰りの女子小学生が3人、

信号待ちしていた。

なんとなくかわいく感じていた。

無邪気というか。

自分が信号機に来るやいなや、

まるでタイミングを見計らったかのように3人が同時に

左に方向を変えて道路を歩き出した。

この瞬間、言葉にするなら

「自分が嫌がられた。

なんか嫌な感じをあの3人の女の子たちは感じて、

自分と横断歩道で接近してすれ違うのが嫌だから

回避したに違いない。」

みたいな感じで胸と腹に痛みとグニョンと嫌な感じを感じた。

男である自分は肉体的にも心理的にも何か穢れている感じで、

女の子たちは無邪気で無垢に近い、

みたいな相違感、対極感があった。

女の子たちが行く道が自分の帰路と重なったので

後ろから歩いて行くと

3人は校庭に入って行った。

どうも自分を避けて学校に帰ったにしては経路も回り道だし不自然で、

このタイミングで初めて「俺の勘違い投影か?」と気づいた。

自分が何か穢れた存在で、

無垢さの対極であり、

(特に自分と対極である女の子には)嫌悪されて避けられて当たり前、

みたいな感覚が深くある。

これが相手と自分であるという知覚と自己信念が

間違えていますように。

 

 

 

ゲーム依存への恐怖

半年ほど前、壊れていたスマホのバッテリーを数年ぶりに修理した。

その時怖かったのは、

スマホが復活したらゲームでまた遊べるようになることだった。

「Brawl Stars」という子ども向けっぽいゲームなんだけど、

これに以前ハマっていた時期があり、

スマホが壊れていた時はあまりプレイできなかった

(別の壊れかけた古いスマホでやってた)

のが新しめのスマホでできるとなると、

また依存が始まる。

その依存を自分の意志力でなんとかできる自信はまるでなかったから

依存が激化して治らないんじゃないかと本当に怖かったけど、

結局、飽きた。

「これはヤバい。やめられない止まらない」となって

確かに依存のループに絶望的に囚われたみたいで

怖くもなったけど、

結局飽きた。

父は教師だったからか、

「子どもにゲームを禁止すると、

欲求を抑圧することになる。

その欲求は大人になって噴出したりするパターンがあるから、

禁止するより適度にやらせた方がいい」と言って

自分たちにはゲームを許してくれていた。

 

一回ゲームとかにハマると「これが死ぬまで続くんじゃないか」

みたいな恐怖を感じてたけど、

意外と変化するんだな。

まだちょっとやる時あるけど。

 

もう完了している何かすごいことをこれからやる感覚があった、

というのりこさんの話を聞いて思い出した。

確か去年の暮れ頃、

朝起きたら明け方あたりに見ていた夢の記憶が

少し残っていた。

その夢は普段の夢とはなんかぜんぜん違くて、

聖霊だかなんだかの霊みたいなのに自分が話を聞いて

「これから何が起こってもどんなに深刻に悲惨に見えることになっても

結局うまくいくから、

全てはうまく組み合わさるように既に采配済みで完了してある」

みたいな感覚を自分が伝えられて、

自分は「うん、やっぱりそうだよね。」と明るい気持ちで確信して頷いている、

みたいな夢の記憶だった。

その頃は勉強会に申し込むかどうか迷いに迷ってお金のことで葛藤して

悩んでいたから、

日中の意識状態とは夢の中の状態がまるで真逆だった。

珍しい夢だった。

自分の固有の失敗

数ヶ月前、あるシェア会で自分のせいで起こったかに

思えた事の失敗感と恥と絶望感で、

一カ月ほど憂鬱と無気力と絶望感に浸っていた時期があった。

こんな失敗をやらかしたのは自分だけに違いないから、

他の人にはとても相談できない、

という感じだった。

負けというか自分だけの重い惨めさだとすっかり思い込んだ感情に

直面させられるのが怖かった。

今思うのは、誰かに心を開く意欲が少しでも持てたら良かった。

自分固有の惨めな失敗にしか思えなかったことを

誰かに話すのが嫌だったのかな。

恥すぎて。プライドを折るのが嫌で、

助けを求められなかったのかな。

1人で勝手に苦しさに浸るだけで自分の知覚や信念が

間違えているのを祈ることもできなかった。

むしろ、絶望感の中に留まっていたかったのかもしれない。

直子さんに助けてもらえてよかったけど、

自分からは助けを求められなかった。

次からは、自分から祈って助けを求めたい。

 

我慢しなくていい

ジェイソンがサラリーマンだった頃、

甘いものとかドーナツが好きで

しょっちゅう食べずにはいられなかったけど

ガイダンスに従ってデイヴィッドたちに合流したら

いつの間にか食べなくなっていた、

と言っていた話しがあった。

たぶん欠乏感が満たされたんだと思う。

好きなものや中々やめられない何かを頑張ってやめなくてもよくて

ただガイダンスに従うかどうかだった、

とジェイソンが言っていたのが

なんかよかった。

 

マグダラのマリア

この映画についてデイヴィッドから解説を聞いた時は、

マリアが結婚しないからと無理矢理洗礼みたいな魔除けをされるとか

エスの十字架刑のシーンがあるから

自分は惨めさや辛さを感じるはずだと思って、

見たくなかった。

深刻な気持ちになる映画だからと見たくなかった。

 

でもちょっとえいっと勇気を出しておっかなびっくり見てみると、

意外と惨めさや辛さは感じなくて、

「あれ、こんなもんか?」となった。

怖がって避けるほどじゃなかったな、みたいな。

エス磔刑は何度も見聞きして慣れているし。

確かに辛さやちょっとウッとくるシーンはあったけど思ったほどでもなかった。

見て良かったと思えたシーンもいくつかあった。

この映画見たらヤバいみたいな恐怖が単なる思い込み・捏造だったのが

わかったのがいちばん良かったのかもしれない。

 

ソラリス

見ていると、

自分が現実だと思っていた固い頑強な世界が

願望によって作られた夢だったのが

ぼろぼろと明らかになっていくみたいな感じで、

見ていて気持ち悪さ、怖さを感じた。

ゾッとするというか。

ヴァニラスカイとかIdentityと同じような気持ち悪さ。

現実だと思っていた世界が崩壊して歪んでいく感じ。