呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。デイビッドはDavid Hoffmeister氏で、ワプニック博士はKenneth Wapnick博士てす。MWGEはコース学習者のための映画紹介サイトhttps://mwge.org/ です。

『Lucy』

https://youtu.be/MrQGB02Izvk

最終回寸前で読みかけだった「彼氏彼女の事情(カレカノ)」を読みながら

デイビッドの話を聞いていたら、

カレカノ最終回で16年後の有馬が娘の将来を心配して

「娘にはなんとしても幸せになって欲しい」と言ったシーンを読んだ直後に

デイビッドが「"未来の世代"は存在しません。

私たちは"未来の世代"のために自分を犠牲にするように教えられましたが、

それは存在しません。」

と言って、

有馬と雪野が初めてベッドを共にしたシーンの直後に

デイビッドが「性欲は奇跡衝動の歪曲です。」と言った。

あまりにもタイミングがピッタリすぎて笑った。

最終回のカレカノは「理想的な家族・理想的な夫婦」

というコースでいう自我の理想を描いていたけど、

自分が不幸な家庭で育った有馬は「娘に何かあったらどうしよう。」

という恐怖と娘への罪悪感に早くも苛まれていた。

一件幸せな額縁の中に、

良く目を凝らして見たら恐怖や怒りや罪悪感があるというのは、

まさにテキスト17章Ⅳの「2つの絵」だった。

主人公ルーシーが胎児の成長を促す化学物質で作られたドラッグで

どんどん超能力者みたいになっていくんだけど、

見ていてヘレンやタマラさん、アジャシャンティのおばあさんを思い出した。

3人ともいわゆる霊感が強く、

ジュディはタマラさんを「生まれつき制限が少なかった人」と言っていたけど、

ルーシーも制限がどんどん無くなっていく感じだった。

「恐怖は理解を妨げる障害」というセリフが心に残った。

逝去するしばらく前のジュディさんの話によると、

アイリーン・ギャレットは霊感があまりにすごくて

若い頃から何かの組織に研究対象にされていたらしく、

ジュディさんの娘のタマラさんが小さい時、

「あなたの娘を研究に利用させないようにしなさい。」

とアイリーン・ギャレットにアドバイスされたと言っていたのを、

ルーシーが研究者チームに対面したシーンで思い出した。

ルーシーは逆に自分の知識や理解を伝えるために自分から研究所に行っていた。

ルーシーが全く恐怖なしに毅然・猛然というか

マフィアたちへの殺人さえも全然ためらわずに動く様を

デイビッドは「この映画はPeople Pleaser(ご機嫌取りする人)にとって良い作品です。

ルーシーはみじんもご機嫌取りしてないよね!」

と言っていたけど、

https://youtu.be/UTINnV36THM

この動画の9分36秒から写っているタマラさんも全然他人の目を気にしないで、

ルーシーみたいに自由に存在しているように見えた。

のりこさんによると、

ラファエルや海外の人からしたらそれほど非常識な振る舞いじゃないらしいけど。

コミュニケーション

直子さんのブログには自分にとって

感情移入して動揺するような記事もあったけど、

不思議なことや合宿や仲間との関わりでの経験など、

深いというかガチというか、パワーのある目を見張るようなことが書いてあって

去年なんかは直子さんのブログを読むことに藁に縋るように希望を感じてた。

ひょっとして、自分が知らない希望があるかもしれないと思わせてくれる。

 

そんなことを先日の勉強会で話したら、

自分でも予想しなかったけど泣いてしまった。

それを聞いてくれていた直子さんが、

Zoomに誘ってくれた。

4月合宿の時のことで、

正直 直子さんに怖いイメージがあった。

直子さんにはバレていて、「私のこと怖かった?」と言ってくれたけど、

素直に言ったらヤバいと思って

ついもっともらしい言い訳をして誤魔化してしまった。

でも、直子さんに隠しても既にバレているなら意味がないと思い、

観念して怖いイメージがありました、と言った。

直子さんは優しく無防備に接してくれた。

3月合宿の時、自分がZoomで顔を見せた時、

なぜかみんな喜んでくれた時の話や、

直子さんの昔の経験などを話してくれた。

直子さんからえばさんと話すように促してもらい、

えばさんとメッセンジャーで話したのだけど、

Zoomのセッティングについて

お互いに言葉足らずで誤解があり、

「文字やメールだけだと誤解がよく起きるから、

実際に話したほうがいいよ」という直子さんの言葉通りになった。

直子さんがhttps://jesustalks705.exblog.jp/29946630/書いていたけど、

お互いに自分の解釈とかイメージで相手を理解したつもりになっていただけで、

本当のコミュニケーションになっていなかった。

ゆうこさんが「伝説巨神イデオン」のことを書いていたけど、

イデオンでは、

降伏して戦闘を終わらせるために主人公たちがバッフ・クランという

敵方に白旗を振るけど、

バッフ・クランからは白旗を振るのは

確か「お前たちを皆殺しにする」という意味で、

誤解して激怒した敵方とまた戦争になるという地獄の展開があった。

そんな感じで、自分の思い込みと解釈からしか生きられてないのか。

だとしたら。

 

 

先日ナイトバードさんの記事を書いたけど、

今は生きていても仕方ない、苦しみしかない、

みたいな気分。

憂鬱感と少し恐れもある。

希望がない感じ。

最近意外な芸能人とかの自殺のニュースが多かった気がするけど、

気持ちわかる、という感じがする。

「生きてるだけで丸もうけ」の真逆の

「生きてるだけで苦しい。損。生まれてきたことが災難だ。

母が自分を生まなければ良かったのに」という気分。

平安のツールの「過去に原因を見ている」を思い出した。

被害者意識と無力感。

ゲームをついしちゃうと、罪悪感からなのかこうなる。

ジュディさんが逝去した話を聞いた時も、こんな感じだった。

テキスト21章に、

「あなたが自我に耳を傾けるなら絶望感や落胆や無力感を感じ、

自分が巨大な勢力を前になすすべもない被害者だと信じるだろう」

みたいな文章を思い出した。

ラファエルが教えてくれたあの平安のツールの解説が本当なら、

これも分離していたい願望の結果で、

自分の解釈や知覚が間違っていることを祈れるのか。

まさにインセプションのリンボ最下層の、

サイトーが老人になって絶望と憂鬱に浸っていた時の感じ。

書いていると、少し元気が出てきた。

今自分は、サイトーみたいに夢の中で眠り込んでいて、

しかもそのことを忘れているのかもしれない。

 

Killer instinct

Buddha at the gas pump とかにも呼ばれたコース教師の

Kate grieves さんが、

動画で「私は若い頃テニスとかスポーツが得意で好きだったけど、

プロになろうとは思わなかった。

なぜならKiller instinct がなかったから」

という趣旨のことを言った。

ケイトさんの口からなんか物騒な響きの言葉が出たのが印象的で、意味を調べたらhttps://ejje.weblio.jp/content/killer+instinct

"殺害本能;(人を傷つけてでも)成功したいという欲求"

という意味だった。

スポーツとかゲームとか商売とかあらゆる競争の場で、

何がなんでも自分が勝つために、相手を負かすために非情になりきれる、

みたいな感じ。

自分がゲームする時でもそう。

何がなんでも勝ちたい。

負けたら悔しく、屈辱を味わうから、相手を情け容赦なく攻撃する。

画面の中でキャラクターがドンパチするだけでも、

攻撃することに快楽というか楽しさを感じて、心は殺意に満ちている。

まさにテキストにあるプライド・快楽・攻撃。

サッカーの大久保さんが取材された時、

「ぼくは普段は家庭では優しいけど、

いつもコート内の自分でいたら、警察に捕まるかもしれない笑。」

と言ってた。

コート内では体をぶつけあって戦うので、

勝ちたさというか相手をなぎ倒す殺意を剥き出しにして戦うんだろうか。

ワークブックのどこかに、

「あなたは自分の内側には邪悪さや闇が満ちていると信じている」

とあって、

『神の使者』では無意識は狂気や殺意や罪悪の魅力に満ちていた、

夢の中ではゲイリーは血みどろの残酷な夢を見ていた、みたいな

ゲイリーの言葉があった。

Identity という映画では、

多重人格で生まれた複数の人格の中で、

女性の人格や主人公の人格など、優しく正気な人格もあったけど

殺人を心底楽しんでいるような、まさにキラー人格みたいなのがあった。

あの多重人格の中には、

まさにテキスト31章にあった「無垢の顔」と「兄弟を殺害する血まみれの顔」

が両方ともあった。

分離の想念から殺人とかその他あらゆる攻撃の想念が投影されたとあったけど、

自我は神を裏切って破壊して、殺害したと信じる分離と攻撃の

罪悪の魅力を心底楽しんで、

その後でヤバいことをやってしまったという

絶望感や後悔や罪悪感を感じたのかもしれない。

それと同じことを自分はゲームという形でしょっちゅう繰り返している。

『奇跡講座入門』では、

私たちは自分の罪悪感をなすりつけて他人を責めて怒る時、

自分を正当化して罪悪感を忘れられるのが気持ちいいから

怒りの気持ちよさに酔いしれて大満喫してしまうけど、

そのしばらく後で罪悪感や後悔といった心理的苦痛に苛まれる、

なぜなら自分が不当に相手を攻撃したのが分かっているから、とあったけど、

まさにそれと同じ「気持ちよさから実行して後で後悔」というパターンを

原初の分離でもやったのかな。

食欲とか性欲でもこの

「気持ちよさとか欠乏感を満たそうとして、

その後で罪悪感や後悔や恥を感じる」というパターンだ。

のりこさんが勉強会で言ってくれたように

「それは罪ではなく間違いで、罰や咎めではなくて

愛のある訂正を必要としている」ことを思い出したいのだけど、

いざ罪悪感でパニックになると動揺した世界観にすっかり囚われて

思い出すことも難しい。

誰かやメッセンジャーグループに話したり、助けを求めることも学びたい。

 

 

生きる意欲 

 

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https://youtu.be/hl7uDorRSnE

6月の勉強会でのりこさんが「次のステップは何だと感じる?」

と言った時、自分は「歯を磨くことですね」と答えた。

自分でも保育園みたいだなと思って笑ったけれど、

これはジョークじゃなくて、自分には本当にできてないことだった。

ラファエルがオデッセイの解説で、

「マークは火星で絶望して憂鬱に死を待つこともできた。

でも死を受け入れなかった。

これが真実であるはずかないと、

火星という地獄から脱出するのを諦めないで、

ガイダンスに従った」と言っていた。

歯を磨くというのは、マークが毎日畑に水をやったりしていたのと同じで。

希望を信じて小さなことをコツコツやる、という感じ。

これが自分にはあまりできないことだった。

努力して、自分の限界が見えてしまうのが怖かったのもあったけど、

希望を信じて、一歩を踏み出すというのも、できないタイプだった。

自転車も、妹のほうがはやく乗れるようになってた。

マークと違って地球に生きていても、

自分はどうせいいことないとすぐ絶望して、

絶望していたら歯を磨く気も起こらない。

何か、「ショーシャンクの空に」でもそうだったけど、

自我は絶望と死を信じて欲しいと思っているけど、

そうじゃないんだよ、

地獄や苦しみからの脱出という希望を諦めることはないんだよ

というメッセージに感じた。

コースには理論的な形而上学

美しく精妙な文章がたくさんあるけど、

「私が世に勝ったのだから、あなたは艱難辛苦を受ける必要はない。

だからあなたは、元気を出すべきなのである」とか、

マニュアルで何よりもまず信頼が重要であるとか、

希望を捨てないことや信じることを説く体育会系というか、

ガッツだぜ!元気だせよ!希望を捨てるなよ!と励ます感じもときどきある。

最近見た映画では、それを感じた。

自分が間違っていることを望むとか、

自分の解釈が100%間違っているとか、

絶望感と無意味感しかない世界観を疑う意味もあるはず。

ラファエルは原因不明の症状で視力も聴力もほぼ無くなったところから

一歩ずつ歩いたわけで、

その時は希望や信頼を敢えて選ぶ意欲が必要だったと思う。

パラリンピックの目の見えないランナーがガイダンスを信じて、

一歩ずつ進むように。

 

状況と孤独

https://youtu.be/hl7uDorRSnE

オデッセイはラファエルが解説してくれたから

前からずっと見ようと思っていたけど、

「厳しい環境でも歯を食いしばって、頑張って生きる」みたいな感じが苦手で、

絶体絶命・艱難辛苦ど真ん中の映画は見たくないから先延ばしにしてた。

 

気になったのは、主人公マークが火星に取り残されて文字通りの孤独に

苦しんでいた時、何かの用で

オペレーター兼技術者のヨハンソンという若い女性が残したパソコンを見て

「ゲームとか孤独を紛らわせるものがたくさんある」と言ったシーン。

マークは火星にただ1人で孤独だったけど、

ヨハンソンは周りに何人も仲間がいるのに孤独を感じていたのかと思った。

『天国から離れて』60ページで、

人が溢れる猥雑な満員電車に夫ルイの提案で嫌々ながら乗ったヘレンが

その状況に不満を持ってルイに対して怒りや被害者意識を募らせていたところ、

突然、表現不可能な圧倒的神の愛に飲み込まれたみたいな経験が書かれていた。

ここを読んだとき、

のりこさんが、まさこさんがリトリートのために重い機材を持って

満員電車に乗ることは一見状況の被害者に見えるけども

自我の箱から出る奇跡の機会になり得ると先日話したことを思い出した。

まさにヘレンもそうだった。

自分がやれと言われたら、正直うーんという感じだけど、

果たして信頼して祈って従えるだろうか、という感じ。

もしヘレンが1人で宇宙船に乗って火星に行っても、

ヘレンがイエスや神の愛と繋がることを選択すれば、

マークのように孤独ではなかったはずだ。

マークは昔の探査機を発掘してNASAと通信を回復して、

やっとそこで孤独から解放されていたけど。

『This moment is your miracle』で、

デイビッドが孤独感は状況に関係なくて、

他人に囲まれていても孤独を感じることはよくあるし、

逆に肉体は1人でも愛や繋がりを感じることはできる、

と言っていたのを思い出した。

 

デッドライン

https://youtu.be/lWEhA_7IZy8

転移したガンで最近逝去された30歳のナイトバードという女性の歌手。

「黄色信号を進む 振り返らずに」

とか「幸せになる決断を先延ばしにしないで」

というメッセージは、まさにのりこさんのメッセージと同じだと感じた。

のりこさんが勉強会やブログで、

最近「曖昧にし続けて時間を先延ばしに使って同じところをループし続けるのを

やめる意欲を持つこと、デッドラインを意識して、

安全地帯から出て、リスクを覚悟でも信頼して飛び込むというか進むこと」

という感じの気合い系というか、体育会系(?)メッセージを出していて、

ナイトバードのことが思い浮かんだ。

ボブ・ローゼンタールさんも最近逝去されたけど、

6月合宿の参加者にガンの治療を昨年経験された方がいて、

人生のデッドラインを意識しているとおっしゃっていた。

自分はコースをはじめても、

他の人たちと繋がるのにリスクを感じてどうしても怖く、

安全地帯にいたままで何年もループだった。

まだ健康で若いからまだ時間あるし、みたいな正当化もあった。

ガンでガリガリになって、髪の毛も短いナイトバードさんに

「幸せになる決断を先延ばししないで」と言われると、

さすがに胸にくる。

それでも逃げたり言い訳したり、そんな気持ちと毎日葛藤してはいるけど。

のりこさんが4月合宿で、よく🔥の絵文字を使って、

目的に進む意欲が部活してる若い学生みたいに、燃えちゃっていいんだよ、

お金や家族や事情で遠慮したり言い訳しなくてもいいんだよ、

という感じのメッセージを伝えていた。

本を読むとか調べて覚えるとか絵とか、

自分はそういう、1人でできてリスクがあまりないことしか頑張れないタイプだった。

スイミングや部活とかやってたけど、やらされる義務感だった。

ここにきて、のりこさんから部活の顧問や塾の先生みたいな発破をかけるメッセージを

受け取っているけど、

確かに自分にはそういうものが必要だと感じる。

それでやっと小さな一歩という感じだけど。